瀧不動堂(木古葉の不動尊〜三浦の三不動の一つ)
本圓寺境外堂 瀧谷山 瀧不動堂
木古庭の不動堂は小字大沢926番地にあり、境内は3636平方メートル(1102坪)からなります。
表参道の入口である不動橋の袂には、縁起を記した立札があります。
◇ 縁 起 ◇
畠山次郎重忠公(1164〜1205)は不動明王の熱心な信者で、高倉天皇の折、衣笠城に三浦大介義明を攻めることになりました。木古庭の畠山という場所に城を築き、守り本尊の不動明王像を安置して戦勝を祈り、戦ったところ、御利益があって勝利しました。凱旋の後、重忠公が像をこの滝谷山に勧請すると、一夜のうちに山から清水がこんこんと湧き出で、一條の滝となったということです。この滝は100日の旱魃にも涸れる事無く、人々の飲料や田畑の用水として利用されました。また、江戸時代の宝永年間の大旱魃にこの不動明王に祈ったところ、湧き水の量が増し、収穫が出来るようになったので、この霊験に感激した領主が修復料と寄附証を贈ったという歴史があります。
この滝に打たれて病を治療する人も数多く、毎年正月、5月を縁日・8月中旬日曜日を大祭と定め、五穀豊穣・家内安全・無病息災・商売繁盛・交通案穏の加持祈祷があり、参詣者が多くあったと記されております。
「木古庭の鎮守」として古くから人々の信仰を集めているこの不動尊は、地域の嫁出し・嫁取りの時には必ず新婦が参詣して幸福を祈るという風習がありました。また、戦時中は応召者は必ず参詣し、帰還の折には無事の報告に詣でました。
不動明王像は木造で、身の丈32cm、腰回り25cm、火炎の高さ42cm、幅17cmの大きさです。お顔や身体は青紺色で、火炎は赤に彩色されています。
不動堂から50m位下ると不動の滝があります。この滝は三浦半島随一と称され、刈山の大楠山ハイキングコースにも組み入れられています。縁起中に「滝に打たれ衆病の治療せし者数ふるに遑あらず」とあり、実際に南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら、一心に水に打たれて念じる人が暫々見られました。
明治、大正の頃は、今日のような海水浴の風習がなかったので、夏の暑さを凌ぐためにも滝への参拝が多く、たくさんの茶店ができました。これらの家屋はいまだに残っていて、現在では人の住居となっています。
境内にある大きな紅葉はご神木で、この一帯は町の天然記念物に指定されており、里人の誇りとして、また憩いの場として親しまれています。
更に「畠山次郎重忠公一族郎党の霊」と書かれた供養塔があり、今でも重忠公の徳を偲んでお花や線香をお供えする方もおられます。
※三浦の三不動について:木古庭の不動尊・衣笠大善寺不動尊・武山の不動尊を通称三不動と呼びます。